ここで発言することがすでに生存確認にもならないような、
そんくらい間があきましたお久しゅう。
なんていうか、日記の書き方を忘れました。←
いや違うな・・・。
mixiはたまに書いてるもんな。
最近かなり感じている事なんですが、“鈴”がお休み中なんですよ。
私個人を“鈴”と名乗る事で偽ったことは一度もないです。
ただ常に私の中で“私”と“鈴”はなんとなく分かれています。
どちらも同じ思想、考え方ではあるけど、立ち位置が違う。
立ち位置が違うことで性格も地味に違う。
私はより現実的というか現実の中でしか存在しえないもの。
“鈴”は私でもあるから想像の中の人物ではないんだけども、
“私”の現実からは若干隔離されているもの。
そういった意味ではより本質なのは“鈴”なのかもしれません。
昔は“鈴”が表面上にもめちゃくちゃ出てました。
だから必要以上に人と関わらなかったし、ある意味好き放題。
人と関わらない事が最大の防御となって、
実質いつでもどこでも構えるという事はなかったのかもしれません。
でも今は“鈴”が休んでて、私がフルで現実と向き合ってるもんだから、
よりやりやすいように人間関係も頑張ってます。
おかげで楽しいし話せる人も増えました。
でも結局私の警戒心ってオートで動いてるんですよね。
起動もオートならば解除もオート。
解除したいと私が望んでも無理なんです。そこは根強い。
関わる人が増えれば増えるほどいろんな警戒心が起動しまくりで、
今の方が常にファイティングポーズをとらなくてはいけません。
多分とってないのっておにぃや紫蘭たちといる時だけかも。
でもそれも昔ほど会えるわけではなく、
それは身を切り裂かれるほど寂しさを味わうのではないかと思っていた現実だけど、
事情もあるしお互いいい年なのでわりとすんなり受け入れられて、
そこは不幸中の幸い。
ただ事実として、私が構えなくていい環境って年間数回って事に変わりはない。
そうなると余計“鈴”を出すわけにはいかないんですよね。
だって“鈴”の方が現実に対応できないから。
現実の私はというと大変です。
今まで2人で生きてきたのにいきなりガンと1人にきちゃったもんで、
発散の仕方もよく知らない。発散は主に“鈴”の役割だったからね。
さすがに“鈴”が休み始めてから時間が経ったので、
今は私としての発散の仕方も少しずつわかりはじめてきたけど、
(というより受け入れる心地よさを覚えた)
“鈴”のように創作や創作物に触れる事で発散しようとしない分少し寂しいのです。
“鈴”と私が完全に分かれているわけじゃないから皆無ではないんだけど。
もしかしたらこのまま鈴がいなくなるのかなって思います。
それだけは避けたい。
避けたいけど鈴はきっと永遠に大人にはならないから、
連れて行く事が本当にできるのかなって思います。
鈴ともう少し遊びたいなあ。
もしかしたら彼氏でも出来て、その人が私の現実を少し引き受けてくれる人であれば、
ひょっこり鈴が出てくることもあるのかなと思うけど、
それはその時になってみないとわかりません。
どんなきっかけであったとしても、活動し始めるその時に備えて、
私は私で経験を積んでおかねばならない。
というわけで毎日頑張ってます。
非常にパソコンが欲しいです。←
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